くじらタイム

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文系大学生の雑記ブログ 下らないことを真剣に考えます

第1回意識高くない系大学生

 

巷では意識高い系大学生が幅を効かせてる今日この頃(完全に偏見)

我々意識低い系大学生はその存在意義を再確認しなければなりません。

 

そこのあなたも周りの人々にあわせて無理してるんじゃないですか?

            取り戻すぞ、悠々自適な日々を

 

 

1 そもそも意志が高いってなんだ

学生の生活のなかでは「意識高い」という言葉を聞いたりするだろう。

 

意識高い系とは、自分を過剰に演出するが中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。 大学生に対して使用されることが多いが、ビジネスマンや主婦など若者・学生以外の層に対して使用される場合もある(wikipediaより)

 

なるほど要するに目立ちたがり屋さんのことを言うのか、そしてカタカナ言葉を多く使用する人のことも言うようだ。

 

2  意識低いとなにがダメなのか

 僕は「意識低いなぁ」とよく言われる。

 しかし、そんな時僕は意識低いことのなにが悪いのがよく分からない。無理矢理に意識を高く持っていき自分にも訳のわからないことで締め上げてもしんどいだけだと思う。それだったら悠々自適、宮沢賢治雨ニモ負ケズ」のような人のほうがいいと思う。

 

3 意識を下げよう

勘違いはしてほしくないだか、意識を下げると言うのは勉強などを全くしなくて良いと言うわけではない。ここで言う意識高いってことは無理に自分を高めている人の事をいっているのである あくまで自分らしくいこうってことである。

無理せずに元気に過ごせれば良いじゃないかと僕は思う。

例えば意識高いって呼ばれる人は自分からこんなことしてますって発信するけども本当長くやってる人はいちいち言わないと思う。

 

何故ならそれが彼らにとって習慣となっているから。みなさんも「毎日うんこしてます!」って高らかに言わないと思う。それと同じことなんだと思う。

要するに自慢せずにコツコツと積み重ねた人が最後には得をするんだ。

 

4 おわりに

なんだか長々と書いてしまったが結局は

意識高いって言われることをするのは全然に良いことだし、だから皆に意識高いって呼ばれるんだと思う。しかし呼ばれることを目標としないでそれを習慣にして頑張ろうということ。そんな風には見えないって人が実は凄いってことは良くある。

             結局は日々頑張るしかないのだ

そんなわけで三日坊主の僕は自分を戒めるのだ(意識高いね)