くじらタイム

くじらタイム

文系大学生の雑記ブログ 下らないことを真剣に考えます

僕たちは近所の人は知らないが遠くの人は知っている

 

最近の日本は昔に比べて近所付き合いが希薄になっていると言われている。確かに僕も隣の家に住んでいる人の顔はわかるが、何をしていて、どういう人物なのかは知らない。そういう人は多いと思う。でもこれって変じゃないか。だって今、僕らはTwitterInstagramFacebook。ありとあらゆるSNSで自分の個人情報を垂れ流し、顔も知らない人とつながりを持とうとしている。なんでだろう考えてみた。

日本人はシャイだから

日本人は、恥ずかしがりやで物事には慎重に臨む民族であると言われる。まあその通りだと思うが、SNSが流行った理由はここにあると思う。本当かは知らないが、大学の先生が言っていたことを思い出した。Facebookを作ったマーク・ザッカーバーグは恥ずかしがり屋だが、女の子と遊びたかった。そこで、学校内で不特定多数のいい人を見つけるために設置したのがいいね!ボタンだと言うのだ。信じるか信じないかはあなた次第だとして、このことは、我々日本人にも当てはまることだ、人間だれでも褒められたいという欲求はあると思う。でもテレビに出て有名人になるとかではない。あくまで普通の生活、一般人として不特定多数のひとに褒められたい。そんな時、SNSは大きな力を持つだろう。顔も素性も知らないどこかの誰かが凄いことをした。この情報はスマホの画面を触るだけで瞬時に拡散されていく。当然SNSを見た人の中では一躍有名人になるが、凄いことをした人はあくまで一般人であり、普通の生活を送っているのだ。怖いのは知らない誰かに見られたいがために自分のことを必要以上にさらけ出してしまったりすることだ。人間は時として周りが見えなくなる。振り返ってみた時には、プライベートがなくなっている。知らない人が自分のことを知っている。このような危険性を含んでいることを知らなければならない。人を探すのだって簡単だ、検索欄にその人の名前を打ち込むだけで出てきてしまう。要するに、SNSに匿名性なんてないのにそれを我々は認識しないで利用しているのだ

一方、ご近所付き合いは、このSNS社会でどうなのだろうか。一般人でいたい我々は、波風を立たせないほうほうで生活する。それはつまり、ご近所付き合いなんぞは最初からしないのだ。こういったことでご近所付き合いは崩壊したのだ。昔は、ご近所同士でその地域の防犯の一翼を担っていた。近所付き合いが希薄になっていくなか、いざというときに守ってくれるのはどちらなのだろうか。